食器王(ショッキング)とは、沖縄はもとより各地の最高の技術・伝統をもつ職人とのコラボレーションにより、
まさに食器の王様を生みだす展覧会なのである。その合体は常に衝撃を伴い、最高にショッキングな邂逅である。

第一回は、沖縄の伝統的焼物で“やちむん”とよばれる「壺屋焼」。
伝統的な登り窯で焼締められた本物の土と炎の傑作である。体中をつかい渾身の技と心で生みだす天才光男作『壺焼』

第二回は、磁器発祥の地である「伊万里焼」。
藍の落ち着いた風合いを存分に活かした絵付けで古伊万里を蘇らせる。光男の光、『光伊万里』

そして第三回が民藝運動の濱田庄司ゆかりの地「益子」で沖縄の伝統、シーサーを表現した「益子焼」ならぬ『益光焼』
釉薬の妙を奏でる益子独特の風合いがいきづいている。


食器王と書いて「ショッキング」!
職人技の光る伝統の器に宮城のアートが時には彫り込まれ、ときには描かれ 、
ポップな器に生まれ変わる。もちろん、揺るぎない伝統があってこそのコラボなのだ!
“食”という重要でいてあまりに当たり前の生活の中にも伝統はしっかりと根ざしている。
食事はもちろん食器にも。その伝統にお腹いっぱい、ではなくより身近な生活の中でアート
として、器としてガンガン使って貰いたい。食器王シリーズの器でガツガツと美味しいもの
を食べながら身体と心に取り込んで貰えると嬉しいぜ!

 

<<2006年 食器王 琉球益光焼>>

【益子焼】
19世紀中頃、笠間焼の影響をうけて始まったといわれる。江戸時代には藩の積極的な
奨励のもと、日用品を中心に製造していた。大正13年に民藝運動の提唱者の1人であ
る濱田庄司が益子に移住し、のちの益子焼に大きな影響を与える。 そこからさらに、
日用雑器や花器など現代に親しまれる益子焼が伝統的につくられるようになる。
益子焼は土そのもののぬくもりを大事にするためやや厚手のものが多く、また釉薬が
独特の味わいを引き立てる。代表的な柿赤釉をはじめ灰釉や飴釉、黒釉などが落ち着
きのある表情を醸し出す。模様付けにははけ目、櫛目、筒描きなど多様な技法が用い
られ、伝統的で力強い作品が生みだされている。

 

『民藝』のことを、「濱田庄司先生」のことを学べば学ぶほど、是非益子に行きたい、武者修行したい という思いがありました。濱田先生は昭和の初めにすでに世界中を飛び回り、
まだ誰も見向きもしなかったすばらしい「民藝」を見つけ、収集し、そしてそれらから学んで独自の作陶に活かし、『民藝』という圧倒的な世界観を作り出したのです。ちなみに
沖縄にもすばらしい民藝を見つけ,長年通いつめ研究制作して生まれたのが、濱田先生代表の紋様『キビ紋(もん)』などです。その目利きぶり、行動力好奇心、そしてあらゆる
ことへの挑戦する精神、私はその精神こそ受け継ぐべき伝統だと思います。(もちろん技術は当然)その魂をより理解し、さらに自己を燃え上がらすためにも濱田先生が自ら選び
長年作陶、生活をしてきた益子に行きたい!と考えていたところ、小島章利氏のご紹介により益子でも最大の規模と伝統を誇る「つかもと」にて作陶及び作画することになりまし
た。「つかもと」は設立140年の歴史の中で民藝運動の濱田庄司先生、棟方志功先生、加守田章二先生等,数多くのその時代の最先端の芸術家、作陶家等が集まった場でありま
した。 特に私が感動したのは、棟方志功先生が「つかもと」の迎賓館で制作した大作の屏風「御群鯉図」である。(現在「つかもと美術館」所蔵)そのあまりの素晴らしさに私も
是非、同じ迎賓館で大きな絵を描きたくなり「壊創伝統(かいそうでんとう)シーサー図」を一気に描き上げました。「つかもと」では、優れた土や釉薬等の材料、親切であたた
かい職人や職員の方々、そして素晴らしい伝統の中で私は存分に伝統を学びながら、さらに高見へと挑戦の作陶ができたのです。そこで独自の現代 アートからインスパイアされた
新たな「絵付技法」や『シーサー紋』を生み出しました。それこそが『民藝』と『芸術』を融合した『民藝術』なのです。
21世紀は『民藝術』に挑戦していきたいと思います。天才光男

 

 

 

<<2005年 食器王 光伊万里展>>

伊万里の陶工とのコラボレーション。
伊万里独特の肌合いに光男のシーサーが様々に描かれています。
まるで透き通るような白とあおとのシンプルな力強さ!伊万里の
個性に光男の個性がなめらかにうつされていきます。古伊万里な
らぬ光伊万里(コウイマリ)!  現在MITSUOシーサー美術館に
て販売中。

 

 

 

 

伊万里
肥前地方(佐賀県・長崎県)おもに有田を中心とした地域で生産
されている磁器。江戸時代、有田近郊の伊万里港から積み出され
国内外に流通したことから伊万里、伊万里焼、と呼ばれるように
なります。この江戸時代に作られた伊万里を現在では古伊万里と
呼んでいます。明治時代以降、焼き物を産地名で呼ぶことが一般
的になり、有田で焼かれた磁器を「有田焼」伊万里で焼かれた磁
器を「伊万里焼」と呼び分けるようになります。また、有田は日
本における磁器発祥の地でもあります。

 

 


 

 

 <<2004年 食器王展 壺屋焼とのコラボレーション>> 

壺屋焼の職人とのコラボレーションにより生まれた民藝術。
まさにショッキング!な展覧会となりました。
島の土と炎から生まれた力強い民藝に光男の藝術が渾身の力
で刻まれ、様々な技法を駆使して生み出された器たち。これ
ぞ「民藝術」。2004年の展覧会より。

 

 

 

 

 

【壺屋焼】
300年余りの歴史と伝統の火を燃やし続けている壺屋焼はやちむん
と呼ばれ日常雑器をはじめ酒瓶や花瓶、茶器や装飾品など、今でも
人々の生活と密着したあらゆる種類の陶器が生産されています。
琉球王府の時代、窯業振興のため知花焼、宝口窯、湧田窯の三ヶ所
にあった窯場を現在の地に統合したのが壺屋の発祥とされています。
壺屋焼は大別すると、南蛮焼とも呼ばれる「荒焼」と釉薬をかけて
直接焼く「上焼」の二種類に分けられます。上焼は日用雑器など比較
的 小さなものが多く、絵付けなどの技法も多様で 変化に富んでいます。
また沖縄は陶土に恵まれ各地で良質の粘土が採れることからそれらの持
ち味を生かした豊かな個性、力強さと温かみが特徴と言えます。

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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